地震とアスペルガー

大人になって診断が確定したAS当事者の復興の記録

アスペの熊本地震日記160425

熊本地震日記その1

 

f:id:AspergerSyndrome:20160420061206j:plain

 

とりあえずアカウントがあるからという理由でブログを開設しそのままにしていたのですが、現地の声があまり県外に届かないという現状にいてもたってもいられず、身バレ覚悟で現地の声をお届けしていこうと思います。ちなみに重度のアスペルガー症候群で3月末で福祉職を退職したところです。

震災から10日目。

全国ニュースで取り上げられる内容は日毎に少なくなっていますが、ここ阿蘇西地区では上水道設備が壊滅しており、広範囲にわたって断水しております。
熊本市内も同様の場所がありますが、行政が管理している水道管が各所で破断しており、供給元から水を通水しても各所で水漏れしており、水圧が上がらないという事態になっています。

熊本市内は建物の倒壊が多く、阿蘇地域は活断層がはっきり分かるような地割れや道路の陥没が目立ちます。ひどいところでは落差2メートルもあろうかという道路もあり、各所で通行止めになっています。

用水路のU字溝も破損しており、田植えを使用にも水を通水できない、もしくは田んぼが地割れで水をはれない場所が目立ちます。
それでもトラクターが無事な農家の方はまだ使えそうな田んぼに出て、荒おこしや代かきに精を出しておられます。この時期を逃してしまうと今年の稲の作付ができず、来年の収入がなくなってしまうからです。本当にタイミングが悪く、切実な問題です。

またマンションやアパートでは建物内の配管の修理が必要な物件が多いようです。
大手賃貸物件では次に地震が来たらもう建物が耐えられませんと管理会社に断言された友人もいます。

水に関しては、地震直後、私たち家族は近くの湧水を毎日汲みに行っておりました。
また生活用水は雨水を貯めて利用していました。
洗濯、茶碗洗い、料理の下ごしらえなど雨水のカスケード利用をし、きれいな水は口に入れるものとして、汚れた水は水洗トイレの排水用に使いました。
子どもたちは下痢になったり、嘔吐が始まったので、子どもの分だけは配給のミネラルウォーターを利用しています。生水を煮沸してもやはり地震の影響で水脈が変わっている可能性があるので、安全性が確認できるまでは、用心したほうが良いのかもしれません。
実際私たちの家では地震直後に井戸水が大量に噴出し始め、慌てて桶に汲み置いたのですが、そのうちに一滴も出なくなってしまいました。地震で地下の水の流れが変わったようです。

電気に関しては、現時点では発電機車が阿蘇市内の世帯数に応じて各所に計画的に配置されており、電気が各家庭に届いていますが、それまでは合併浄化槽の送風もできず、浄化槽の能力が落ちていたようです。
そのため少しでも浄化槽に負担をかけないように使用済みのペーパーはゴミ箱を設置して、その中に入れて廃棄するようにしました。
またガソリンの発電機がありましたので、それを使って一日に一回数時間だけ送風しておきました。
発電機車は遠くは北海道電力の発電機車もきていて、担当者がツーマンセルでテントやレンタカーで休みながら燃料の補充や防犯対策をされています。
うちの子どもは地震後初めてお絵かきした際に発電機車の絵を書いたぐらい今の阿蘇ではヒーローです。この発電機車の仕組みが知りたくて、私は家のそばの発電機車を訪問して少し質問させていただきました。そしたらこの発電機車は軽油で発電しており、地域の電力使用によって燃料の消費量が変わるそうです。ただし動いている間は最小出力でも発電をし続けているので、節電はしていただきたいが、普段通りの生活をしてくださいと言われました。

トイレの問題は避難所生活ではとても深刻で、トイレと日常生活の場所を同じ靴で行き来したことからノロウイルスの集団感染が発生した避難所が南阿蘇村ではありました。
また近隣の避難所のニーズを伺った際には次亜塩素酸などの消毒薬がほしいとの声も聞かれました。
そして避難所によっては仮設トイレに長蛇の列ができています。
また県内の断水しているコンビニではトイレが利用不可となっており、緊急避難でコンビニに立ち寄ったが、トイレが使えないという恐ろしい事態が待ち受けています。
そしてトイレが利用できるコンビニでも、トイレットペーパーがなくなっているために利用できない店舗もありました。

私の家の周りの公民館を利用した避難所は27日までで閉鎖されるということでした。
また社会福祉協議会や民生委員らによってボランティアセンターが設立され26日より稼働するそうです。但しボランティアしたい方の受け入れは九州に住所のある方だけに限るそうです。

地域住民も疲労の色が濃くなっており、お話を伺う際にも配慮が必要です。
益城町ではマスコミが夜間のテレビ中継でライトを照射して非難をかっています。
ヘリコプターの騒音問題は相変わらず問題になりましたが、国道57号が崩落の影響で使えないため、ドクターヘリの出動回数が増えているのでしかたがないと思います。

ちなみにアマゾンのほしい物リストを活用しようと思いましたが、この郵便番号へはお届けできませんの表示が続いて、地震初期にはヨドバシからの日本郵便は届きました。
現在は日時指定が不可ですが、宅急便も配達を再開していますが、ドライバーさんも被災されている方が多いので、物流は相変わらず不安定です。
ちなみに佐川急便と西濃運輸は動いていないようで、センターからの電話で地震前にきていた荷物を23日までに配達しますと言われたのですが、その後音信がありません。

写真もアップしたいし、アフィリエイトもやってみたいのですが、だんだん疲労が溜まってきてて、とりあえず地域の現状をアップし続けてみたいと思います。

お知りになりたいことがありましたら、コメントください。

私がブログを書く理由、熊本地震

今週のお題「私がブログを書く理由」

最初は軽い気持ちでアスペルガー症候群の生きづらさを解決してきた個人的方法を公開しようと思ってたけど、日々の忙しさにかまけて結局モチベーションを維持できませんでした。

仕事が長続きせず、ハローワークや障害者職業支援センターなどいろんな公的機関を活用して、障害者枠で就職しました。

 

だけど障害者枠って健常者の求人に比べたら職種も偏っており、賃金も到底家族を養っていけるほどはいただけません。

 

だから発達障害者の多くは起業したり、家業を事業継承して、組織に所属せずに生きる方の話が多いですよね。アズ直子さんとか。

私は一日中家族といるのがしんどかったので、家業も長続きしなかったので、外で働くという選択をしました。

そして障害者福祉施設の事務職として採用されたのですが、そこも結局は上司のモラハラに遭ってしまい退職しました。

 

これからどうするかなぁと思っていた矢先に、熊本地震です。

複数のメディアが取材に来たので話す機会もありましたが、日増しに全国ニュースから放送される情報が減っています。

 

また橋が崩落し、国道と線路が消失した南阿蘇村の阿蘇大橋付近が大々的に報道されていますが、北阿蘇に位置する阿蘇市の情報はあまり報道されていません。

阿蘇町の北外輪山の麓では九州北部水害の影響でたくさんの場所で土砂崩れが起き、未だに地肌が露出していたのですが、今回の地震では更に多くの場所で土砂崩れが発生し、大雨の予報の度に避難勧告のアラームがスマホから鳴響きます。

避難所となっている公民館は明後日で一旦閉鎖されますが、これからの長い復興の日々を記録として残したいという思いがあり、また県外の友人や親せきでSNSを利用していない方へも見ていただけるようにと思い、ブログを書いていこうと思いました。

これから何日続くか分かりませんが、遠くは福島やアメリカ・フランスの友人や親戚へ家族が元気なことを知らせつつ、私たちの日々の生活と工夫をお伝えしていきたいと思っています。

はてなブログの使い方もよく分かっていませんが、どうぞよろしくお願いします。